筆をとった次第です(仮)

横浜と上海の往復書簡です。

2024年1月18日:横浜 13℃

高知県室戸岬灯台。見晴らしのよいところだったけど、なぜそういう場所は「恋人たちの聖地」と定義づけられるのだろうなと看板を見ながら思った


なっちゃん

年が明けた頃から、また一段と寒くなりました。今日は暖かい日だったのですが、これを書き始めた日には久しぶりに昼過ぎから雨が降っていて、そういえば冬の雨ってこんなに冷たかったかと。家に引きこもりがちなので、どうも色んなことが少しだけ遠く、ベランダに出るだけでハッとすることが多いです。

長らく風邪っぴきとのことでしたが、その後治りましたか? 日本でもインフルエンザの流行がすごいらしいと聞きますが、私自身はわりあい元気に過ごしています。

会社員時代には常態的に頭痛があったのと、月に一度は高熱を出し、声が出しづらくなるような症状があったことを思うと、今はそんなこともなくなったので、あの頃と比べると健やかな生活を送れているようです。とはいえ、なっちゃんの言うとおり、「無理をすればできる」はいざという時に使うべきですね。今年は意識的に、もう少し休みを増やしたいところですが、どうなることか分かりません。

フリーランスなので自分自身の今後の仕事に対して不安を覚える、ということもありますが、やはり究極のところはお願いされたことを断るのが苦手なのだと思います。せっかく自分に声をかけてもらったのだから、自分が無理をしてできるのなら、と考えてしまうのですよね。この自己犠牲精神と人から嫌われたくないという臆病さは、やはり生来持ち合わせているもののようで、完全になくすことは難しそうです。なっちゃんは何かを断るのは得意なほうですか?

無糖炭酸水が頭痛を緩和させる、という話は初めて聞きました。今度試してみようと思います。血糖値の上下で、という話にもほーっと思いました。以前にもなっちゃんから感情の捉え方についての話を聞いたことがありましたね。そこまで割り切れないまでも、その話を聞いてから気の持ちようとしては随分楽になりました。感情というのはよく分からないものなので、どうすることもできずさらに不安になったりするけれど、いくつか対処法を考えて試すことができて、実際に以前よりは少しコントロールがきくようになったように思います。

ここまで書いてきて既にですが、なっちゃんからのお手紙を読みながら、たくさん書きたいことが溢れてしまっています。その上、この年末年始はどうも個人的に慌ただしかったせいで、聞いてもらいたい話が沢山あります。

先に、この年末年始の話をさせてください。お伝えしていた通り、山奥の実家に一週間ほど帰省していました。相変わらず山と川ばかりですが、とても静かな場所でした。夜になるとほとんど全ての音を自然に吸われたようにシンと静まりかえる、あの空気がやはり私は好きです。星空もとても綺麗でした。たぶん、あの星空の下で育ったので、すぐに空を見上げる癖がついたのだろうと思います。

実は、今回の帰省にはひとつ大きなタスクがありました。姉の引っ越しの手伝いです。というのも、姉は実家から車で1時間ほどの街にひとり暮らしをしていたのですが、仕事の担当エリアが実家寄りに変わることになり、一旦実家に戻ることになったのです。その話自体は秋頃に聞いていたので、軽い気持ちで了承していたのですが、状況が一変したのは12月に入って一週間ほどが経った頃でした。

母から急に日曜に電話が掛かってきたから何かと思えば、姉が腰痛のためにベッドから起き上がれなくなって、救急車を明日呼ぶ予定だと言うのです。とはいえ、その時点ではそこまで深刻にとらえていなかったのですが、翌日救急車で運ばれた先でヘルニアと診断され、入院することになりました。手術をするほど悪化しているわけではなかったため、リハビリと薬、安静にすることで痛みが引くのを待つことになり、現在も入院中です。

1カ月ほどが経った今も補助器なしでは歩くのもままならず、基本的には一日のほとんどを寝たきりで過ごしているとのこと。少し仕事など無理をしすぎな様子だったので、これをいい機会としてよく休んでほしいと思うばかりですが、まだまだ退院のめども立たずで、担当医師からは「半年かかる人もいるから、なんとも言えないね」と言われたとか。長い目で回復を待つほかないですが、結果的に引っ越しは私と母の肩に全て乗っかってくることになりました。

年末の引っ越しの荷造り、業者とのやりとり、引き渡しの立ち会い、運ばれた引っ越し荷物の片付けなどに追われているうちに、ほとんど1週間が終わっていました。身内とはいえ本人不在の引っ越しほど大変なことはないと身をもって実感しました。幸い、私は自分以外のものを片付けることがわりと好きなので、なんとかひととおりの片付けは終えることができましたが、ずっとバタバタ立ち働いていて、さすがに疲れました。とはいえ、もし私が仕事など多忙で帰省できていなかったらと思うと、きっと母がひとりでこれに対応しなければならなかったので、少しでも役に立てたのはよかったなと思います。

うちの実家は現在、父(筋ジストロフィーで要介護状態、仕事は昨年退職)と祖母(母の実母、離れにひとり住んでいる)の世話を、非常勤講師として週4くらいで働きに行っている母が見ている状況です。祖母は90歳を超えているものの、ずっと年齢のわりには元気に歩き回ったり食べたりしていたのですが、久しぶりに会うと急に元気がなくなってしまったようでした。その結果、母の負担は年末頃から格段に上がってしまっていた、ということを帰省して初めて見聞きして知りました。だからといって、母は私に家に帰ってきて介護を手伝ってほしいなどと言うことはありません。たとえば今回の引っ越しのように、突発的に手伝いが必要になるときには連絡があるのですが。

母のことを思うと、自分はどこでもできる仕事だし、家に帰って少しでも手助けをしたい、と思う心がないわけではない…というか、かなりあるのですが、どうしても父のいる実家で、その生活を支えるようなことをしたくない、という想いが抑えられません。

この話をしたことがあるか覚えていませんが、うちの父は家父長制を象徴するような典型的な父親で、母親に対しては要介護になる前、私たちが幼い頃から「おい」などと言って命令し、自分では家事のいっさいもしない人です。勿論、感謝のひとこともありません。さらなる詳細への言及は避けますが、とにかく大体のことがプライドで成り立っていて、端的に言うと迷惑で面倒くさいです。

そして父が要介護になってからは、旅行が好きな母は遠出をすることが一切できなくなりました。私は、早く父が死んでくれないかなと思うようになりました。

もう思い出すこともできませんが、昔はここまでの気持ちは持っていなかったどころか、良好な関係を維持していたように思います。なぜなら、ただ典型的なだけで特別に悪い人間だというわけではないからです。(とはいえ、やはり気楽に話をするような関係であったわけでもないですが…)

父は変わっていません。言ってしまえば、変わったのは私です。変わった、というのが正しいのか、気付いたと言うべきか。あの家族関係を形成してきたのが、母の犠牲によるものだったとわかったのです。
しかし、もう気付いてしまっては昔には戻れません。私がいくら父を憎悪したところで、父も変わらなければ、母も変わらないけれど、私が強い言葉を使うことで少しでも母の気が晴れていればいい、と願わずにはいられません。

そんな父が、年始に挨拶にやってきた従兄弟たちと私が仕事について話していたとき、「結婚してほしいけどな」と急にのたまったので、私は一瞬耳を疑い、言葉を失いました。そのあと「結婚はしませんが?」とかなり険のある言い方をしたので、間に座っていた従姉妹が取り繕うように「まあこれから先はわからんからね」と苦笑いしましたが、私はとんでもない怒りでどうにかなりそうでした。

翌日の夜に母と話していたところ、近所に住む仲良しの同級生たちが皆、孫がいてそんな話をしているから、それが羨ましいのもあるんじゃない? という話が出てきて、私は父の話のネタのために結婚し子どもを産んでほしいと願われているのか、仕事をして生活していることなどどうでも良く結婚することにしか価値がないと思われているのか、とさらなる憎悪が湧きました。(もちろんそれだけではないともわかっていますが)
きっとちゃんと話をしないことには、私がどういう気持ちでそれを嫌がっているのかも伝わらないし、また繰り返すのだろうと思うのですが、やはり父と向き合って話をする気力はなく、そのまま目を合わせないようにして終わりました。

そのことがくすぶるようにずっと胸の奥にあってしんどかったのですが、つい昨日のこと、徳島に旅行に行って、あっつい温泉にひとりつかっていたら、そんな馬鹿馬鹿しいことに脳のリソースを割いていることが勿体ないと思ったし、心底、本当にどうでもいいなと思いました。私は私自身を喜ばせることができる、今の自分をとても誇りに思います。

そうだ、海外でいろんな国の文化や価値観を知ったことで楽だと感じたか、という質問ですが、私はあまりそれは感じなかったかも。おそらく3か月というのがそう長い期間でないというのもあるし、語学学校という場で生活をしたというのとは少し違ったからかなと思います。(それに、私の語学力ではそこまで突っ込んだ話はできなかった、というのもあるかも)
というか、むしろ意外と同じ部分もあるんだなと思った気がします。フィレンツェにひとりで行ったときに、ある塔にのぼっている途中でとても調子が悪くなったんです。隅のほうに座り込んで、気持ち悪さが去るのをひたすら待っていたのですが、その間に3組ほどの観光客の人たちが、「大丈夫ですか?」「なにか必要なものがありますか?」と声をかけてくれました。(少なくともアジア系ではなかったけれど、どこの国の人たちだったかはわかりません)
言葉や文化や価値観が違っても、コミュニケーションを取って、知ろうとしたり伝えようとしたり、そうやって人間同士は関わっていくのだなと。すごく当たり前のことだけど。

コンサートでのスマホライトの演出の話は、こんな言い方をするのはあまり正しくない気がしますが、なっちゃんらしい話だなと思いました。私も何度かやったことがありますが、まあ別にやらなくてもいいよなと、そのたびに思ってはいます。嫌悪感を覚えるほどではないけれど。
コンサートやスポーツ観戦なんかで、みんなで同じ声援を送ったり動きをしたりする、というのに一体感を感じてそれを魅力に感じている、という人がかなりの数いるのだと思います。割合は分からないけれど、何人かの友人からそういう話を聞いたので、それなりに多いのだと思います。これに関しては理解はできるけれど、私自身はそういう楽しみはたぶん今後も一切覚えることがないと思います。

ディズニーシーに誘ったこと、ありましたね。何かを買った副賞で、夕方以降の園内が貸切になるというチケットをもらったのです。なっちゃんはわざわざお金を払ってまでは行かないだろうしいい機会になるかも、と思って誘ったのだったかな。私自身が新しい経験をするのが好きな人間なので人にも勧めたくなってしまうのですが、同時に迷惑かなという感情もあったりして…なっちゃんは興味ないことはわりとバッサリ断ってくれるので、逆に声をかけやすいです。
たしかに私自身はディズニーランド、特別に苦手な感情はありません。(今はディズニーにお金を払いたくないので行きませんが)なんなら、年に1回くらいの頻度で行きたいなと思って行っていました。年に1回という周期のせいで、毎回ハロウィンの時期でしたが。
まあ、わざわざ行って、何を感じるかと考える必要はないと思います。

アイドルに対して、苦手と好きと面白いが共存しているという話、なんだか分かります。私は苦手というのとは違うけれど、やはり色んな面で暗い気持ちというか、考え込んでしまうことも多いです。XGは実はちゃんと聞いたことがないんですよね。おすすめの曲があれば、教えてください。

家の話が思ったより多くなってしまって、書き切れないことだらけです。
最後にこれだけは。「無駄だから、他人に期待しない方がいい」と言ってくれたの、私は嬉しかったです。嬉しい、がふさわしい言葉じゃないかもしれないけど、その言葉があるのとないのとじゃ、随分違いますから。きっと完全に諦めることは難しいでしょうが、その気持ちも持ってバランスを保っていきたいです。

わでぃ