筆をとった次第です(仮)

横浜と上海の往復書簡です。

2024年2月8日:上海 3度

2018年ごろ? 富山県のどこだったっけ?

わでぃへ

2024年もあっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。今日は旧暦の12月30日です。週末からの8連休になにをするのかは全く決めていません。会社で流行っている風邪にまたもややられてしまい今現在フラフラなので、1〜2日は出勤しつつ後はだらだら過ごしたいと思います。

さて仕事の話ですが、依頼を断るのが苦手だっていうのは、私には当てはまらないかもしれません。単純にあらゆる面でキャパがないし、嫌なことはどうやっても顔に出てしまうので……。むしろ、もうちょっと我慢できるようにならないといけないなって日々反省しています。

それに「献身」はわかるけど、「自己犠牲」っていうのはあまりないのかも。もちろん、人から何かを得るためだったり、責任感から「ちょっと無理して頑張る」ことはあるし、自分ばかりが得している(楽している)と感じて「譲る」ことはあります。

嫌われたくないという感覚は比較的乏しくて、嫌悪感を向けられた時には傷つくというよりも面倒くさいと感じます。ああこの人は私のことが苦手なんだとかその逆だと気づいた時には、わりとパキッと関わり方を切り替えます。

 

2023年は高校生の学生生活を描いた「スキップとローファー」という漫画に夢中になりました。主人公は素直で真っ直ぐで、嫌なことは嫌だと言える女の子です。万人ウケはしないけど、しっかり友情を築ける子です。そんな主人公に向かって、クラスメイトの八坂さん(機能不全家族で育ち、ぶりっ子)が「他人の評価なんかどうでもいいって言い切れるくらい、愛されて生きてきたんだね」というシーンがありました。この言葉は何故かぶっ刺さりました。

私はこの漫画の主人公のように素直なわけではありませんし、まったくもって健やかな学生時代を過ごしてきたわけではありません。でも、他人の価値観をどうでもいいと切り捨ててこれたのは、自分が周囲の人から最終的には許されてきたからなのかもしれません。なのに、自分はその周囲にすら中指立ててばかりです。

わでぃの話を聞いて、わでぃはこれまで家族に対しても配慮をしてきたんだろうなと想像しました。わでぃは相手を思いやれる人だし、他人のことにすら心を配る姿をみてきました。だからこそ、これまで自分が抱いた違和感や嫌悪感を飲み込むことが多かったんじゃないでしょうか? 子どもとは言えない年齢になってから、親の前で泣き散らかしたり、癇癪起こしながら反論して、持論を展開することってやったことないですか?

モラトリアムのエネルギーが過ぎ去ると、いろんなことが面倒になったように思います。わざわざ怒りたくないし、だからこそ人と関わるのもめんどくさいし、人に何かを伝えることも面倒だし、わざわざ言葉にして自分や誰かを傷つけたいわけでもない。だからといって、嫌なこととか、ムカつくこととか、違和感とか、恐怖心とか、わでぃも私も飲み込まないでいられるといいなと思います。

 

さて、近況報告になりますが、私はもう長い間、ここよりも遠くへ遠くへいきたいです。中国の次はインドにいくチャンスはないだろうか…なんて思っていたりします。でも、インドに行ったとしてもそんなに遠くへは行けないだろうなとも感じています。

いよいよ本当に、声の大きな人の価値観が鬱陶しくて仕方がないです。世間の大きい声が指さす「美しいとされるもの」は私にとってはなんの価値もないものばかりです。XGばかり聞いていると前回言いましたが、やっぱり1ヶ月もすれば、一通り履修した感じになって離れてしまいました。どんなものでもはじめは面白がることができるけど、結局いつも離れてしまうんです。自分を折ることができないくらい、ものすごい我儘なんだとおもいます。

「あれも違う、これも違う」って、私はそんなことばかり思っています。結局は美意識の問題でしかなくて、世間的に良いとされるものは、徐々に価値観のズレが気になって離れてしまいます。10代のころはそれを言葉にすることができませんでした。「嫉妬」だったり「負け惜しみ」だと思われるのが嫌だったから。30を過ぎた今でも、私はその頃から何も変わっていません。

もう、嫌いなものが多いのは仕方がないので、私は私がちょっとでも美しいと思えるもの、ちょっとでも信頼できるものを少しでも多く見つけていきたいです。

冬は寒いのでどこにも行く気になれないですが、少し暖かくなったらあっちこっち行きたいなと思います。寝台列車に乗って西安へ行って、ついでに兵馬俑を見たいです。あとは、少数民族の手芸品を買いに貴州省に行きたいです。すっかり観光地化されている少数民族の村にも興味があります。夏か秋にはいよいよチベットに行きたいです。高山病になりそうな予感しかしませんが、青蔵鉄道から見る景色はきっと美しいだろうと期待しています。

いま、富山県でひとりで線路沿いを歩いたことを思い出しました。畑に囲まれた線路にそってひとりでロケハンしていたら小雨が降り出して、まだ次の駅まではずいぶんと距離があって。誰もいなくて心細かったのにその瞬間が綺麗だったのを覚えています。10年以上前、バンコクからラオスに向かった寝台列車でみた景色も最高でした。都会の喧騒から一転、早朝になったら辺りいちめん黄緑色の田畑が広がっていて、車両に早朝の冷たい風が流れ込んでいました。またいつかどこかであのような瞬間に出会いたいです。

現実が重くて仕方がないと感じることもありますが、私は、人生で辛くて辛くて逃げ場すらないときに、わでぃたちに出会いました。苦しくて地獄だった時は、奇跡みたいに楽しい時でした。私にとって最悪な時と最高な時は同じパッケージに混ざって入っています。

息がつまることも多いですが、ところどころで息継ぎしていきたいですね。前も言ったけど、ヨーロッパ鉄道旅をいつかしたいです。南米はやっぱり怖いんだけど、日本の離島を巡るのもきっと楽しいと思います。20代のころのような体力や好奇心はないけど、渋谷で永遠に夜が続くみたいな瞬間もあと一度くらいはあったら良いなって思います。

 

なっちゃん